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菊理媛神(ククリヒメノカミ)は、日本の神話にたった一度だけ、それもほんの数行だけ現れる神様です。
しかも、何を言ったのかが書かれていません。「こう言った」ではなく「何かを言った」とだけ記されて、そのまま姿を消します。
記録が少ないぶん、この神様には後の時代にいろいろな解釈が重ねられました。縁結びの神とされたり、縁切りの神とされたり、別の神と同じ存在だと言われたりしています。この記事では、古い文献に残っていることと、後から加わった見方を分けて紹介します。
菊理媛神が登場するのは『日本書紀』の一書(あるふみ)、つまり「別の伝えではこうなっている」として本文に添えられた異伝のなかです。
場面は黄泉比良坂(よもつひらさか)。亡くなった妻イザナミを追って死者の国へ行ったイザナギが、変わり果てた姿を見て逃げ帰る、あの有名な場面の最後にあたります。
生者の国と死者の国の境目で、イザナギとイザナミは言い争います。そこへ菊理媛神が現れて、何かを申し上げる。イザナギはそれを聞いて褒め、そのまま二人は別れました。
出番はこれだけです。『古事記』には登場しません。日本書紀の、それも本文ではなく異伝のなかに、一度きり出てくる神様です。
この神様のいちばんの特徴は、台詞が記録されていないことです。
「菊理媛神が申し上げた」とはあるのに、内容がない。イザナギが納得して場が収まったことだけが分かります。
争っていた二人の間に入り、ひと言で場を収めた。何を言ったかは分からない。この余白が、後の時代にさまざまな解釈を呼びました。
仲を取り持つ神という見方も、縁を結ぶ神という見方も、もとをたどればこの一場面から出ています。逆にいえば、菊理媛神について語られていることのほとんどは、この数行から広がったものです。
「ククリヒメ」の「ククリ」について、「括る」、つまりまとめる・結ぶという意味に読む解釈があります。
争う二人の間を取り持った場面と、名前の音が重なる。だから「結ぶ神」なのだ、という読み方です。縁結びのご利益は、おおむねここから説明されます。
ただし、これは名前からの解釈であって、語源として確かめられたものではありません。神様の名前の由来は、後の時代に意味を当てはめて説明されることが珍しくありません。「昔からそう解釈されてきた」と受け取っておくのが正確です。
もっともよく挙げられるのがこれです。
人と人との縁を結ぶ神。恋愛に限らず、仕事の縁、人との出会い全般を含めて語られます。
由来は先ほどの「括る」の解釈と、イザナギとイザナミの間を取り持った場面です。切れかけたものをつなぎ直した神、という捉え方が根にあります。
同じ神が、縁切りの神ともされます。
矛盾しているようですが、「結ぶ」を軸に考えると筋が通ります。結び直すには、いったんほどく必要があるという捉え方です。
イザナギとイザナミの場面も、見ようによっては「別れを成立させた」話です。二人はここで完全に離れ、生者の国と死者の国に分かれました。仲直りさせたのではなく、きれいに終わらせた。そう読む人もいます。
悪い縁を切って、必要な縁を結び直す。縁切りと縁結びを一続きのものとして扱うのは、この神様の特徴です。
ただし、実際に誰かと関係を切るかどうかは、参拝とは切り離して考えてください。仕事の付き合いや家族の事情まで含めて判断できるのは本人だけです。「縁切りの神様に参ったから」を理由にすると、あとで戻す必要が出たときに困ります。
こじれた関係のあいだに入る神、という見方もあります。
争っている当事者どうしでは動かない。第三者がひと言添えたことで、場が収まった。その役回りに重ねる見方です。
家族や職場のこじれ、話がまとまらない場面で名前が挙がるのは、この流れです。
菊理媛神は、白山比咩神(シラヤマヒメノカミ)と同じ神とされています。
その総本宮が、石川県白山市の白山比咩神社です。霊峰・白山を神体山として仰ぐ信仰の中心で、菊理媛尊をイザナギ・イザナミとあわせて祀っています。
白山を祀るお社は、全国におよそ三千社あるとされます。一柱の神様としては相当な数です。
これだけ広がったのは、白山が古くから山岳信仰・修験道の霊山だったからです。山頂を目指す修行の道は禅定道(ぜんじょうどう)と呼ばれ、加賀・越前・美濃の三方向から登る三本がありました。平安時代にはこの三つの起点をまとめて三馬場(さんばんば)と呼び、白山信仰の拠点として栄えます。三馬場を拠点に修験道が盛んになるにつれ、白山信仰も各地へ広がり、それぞれの土地で白山の神を勧請する神社が増えていきました。
つまり菊理媛神は、日本書紀での扱いの小ささとは裏腹に、山の信仰に乗って全国区になった神様です。「はくさんさん」「しらやまさん」と呼び親しまれてきました。
三千社という数は、裏を返せば大きな神社の片隅にある小さなお社も多いということです。
たとえば静岡県周智郡森町の小國神社。遠江国の一宮として知られる神社ですが、その末社のひとつに白山社があり、菊理媛神が祀られています。
本殿にお参りして帰るだけでは、たいてい気づかないお社です。ですが、こうした形で祀られている場所は各地にあります。近所の神社の境内に「白山社」「白山神社」があれば、菊理媛神が祀られているかもしれません。ただし祭神は神社ごとに異なるので、由緒書きや公式の案内を確認してみてください。わざわざ石川まで行かなくても、案外近くにいます。
菊理媛神について調べると、瀬織津姫(セオリツヒメ)と同じ神だ、あるいは龍神であるという説に行き当たります。
これらは日本書紀にも古事記にも書かれていません。後の時代に生まれた解釈です。
なぜこうした説が出てくるのか。理由ははっきりしていて、菊理媛神について記録が少なすぎるからです。
出自も、性格も、他の神との関係も、日本書紀はほとんど書き残していません。空白が大きい神様には、後から意味を入れる余地があります。瀬織津姫も、古代の文献に残る情報が限られているため、後世さまざまな解釈を重ねられてきた神です。「隠された神」という共通点で結びつけられることが多いようです。
こうした説をどう受け取るかは、読む人しだいです。実証されていないというのは、「そうだ」とも「違う」とも確かめられていないという意味です。どちらかに決めつけるのは、向きが逆なだけで同じことをしています。
区別しておきたいのは一点だけ。これらは古い文献に書かれた話ではなく、後の時代に加わった見方だということです。そこさえ押さえておけば、あとは好きに受け取ってかまわないと思います。
白山社は、大きな神社の境内にある場合、本殿の脇や奥まった場所にあることが多いお社です。
参拝の作法そのものは、ほかの神社と変わりません。ただ、お社によって決まりごとが違うことがあるので、大きな神社では公式サイトや境内の案内を見ておくと確実です。
神社での過ごし方については、神社で心が整う!エネルギーを受け取る参拝方法とアフターケアのポイントでも書いています。あわせて読んでみてください。
縁結びを願うにしても縁切りを願うにしても、何を結びたいのか、何を終わらせたいのかを、自分のなかで言葉にしてから行くほうがいいと思います。取り持つ神とされているのは、当事者だけでは動かないときに間へ入る役回りだからです。何を取り持ってほしいのかがはっきりしていないと、頼みようがありません。
「あなたは菊理媛に呼ばれている」「白山に縁がある」と言われることがあります。そう感じる人が本当にいるのかもしれません。
ただ、そこから不安をあおって、高額な祈祷やお守り、開運グッズを買わせようとする人には気をつけてください。その場で決めずに、いったん持ち帰ること。不安をあおられて契約した場合、消費者契約法にもとづいて取り消せることがあります。断ったあとにしつこく連絡が来るときは、消費生活センター(消費者ホットライン188)に相談できます。
なお、体調の不安が続いているときは、先に医師に診てもらってください。そこを外しておいたほうが、あとで誰かに視てもらうときも話がぼやけません。
菊理媛神について日本書紀が書き残したのは、ほんの数行です。しかも、肝心の言葉そのものは記録されていません。
それなのに、この神様を祀るお社は全国に三千。千年以上のあいだ、山を越えて各地へ運ばれ、今も残っています。
言い争う二人のあいだに入って、ひと言だけ何かを言った。その中身が分からないまま、人はそこに何かを感じ続けてきたことになります。
近所の神社で「白山社」の額を見つけたら、少しだけ立ち止まってみてください。数行しか残っていない神様が、そこまで来ています。